はじめに
これはフィクションだけど、本気の話。
最近ふと思った。
「今の社会、なんか生きづらいな」って。
一応、自由はあるし、民主主義ってことにもなってるし、日本で戦争が起きてるわけでもない。
だけど心が締め付けられる瞬間が多すぎる。
自分をちゃんと出せなかったり、頑張っても評価されなかったり、
夢を持っても、構造的につぶされてしまうような感覚。
その言葉にならないモヤモヤが、いつの間にかワタシの中で積もっていって、
気付いたらこう思ってた。
だったら、もう自分で自分が生きやすい国を作ってしまいえばいいんじゃないかって思った。
それが、クル国家。
クル国家って何?
クル国家は、現実世界の法律や制度には存在しない、仮想国家。
でも、ワタシはこの国家を「ただの理想」や「逃げ場所」にはしたくないと思ってる。
それは、いま生きているこの社会に、どうしようもない生きづらさを感じたから。
たとえば、努力しても評価されない人がいる。
ちゃんと本音で話そうとすると「空気を読め」って言われて排除される人がいる。
見た目や経歴で、価値を測られてしまう人がいる。
夢を語ると「現実を見ろ」と言われて、潰される人がいる。
そんな社会の構造そのものが、ワタシにはどうしても正しいとは思えなかった。
だから考えた。
「この生きづらさって、個人の問題じゃなくて、社会の設計ミスなんじゃないか」って。
もしそうなら、ワタシたちはただ耐え続ける必要なんてない。
ちゃんと一つ一つ、問い直して、新しく設計し直すことができるはず。
でも今の政治は、ほとんど変わらない。
テレビで偉そうな言葉が並んでも、実際にワタシたちの日常がラクになることなんて滅多にない。
だったら、
「ゼロから国家という単位で思想を打ち出してやる。」
そんな思いで、クル国家を始めることにした。
この国は、「心が豊かになること」「自分らしくいられること」「誰かと共にいられること」を、
ちゃんと価値だと認める社会を目指してる。
GDPや偏差値や肩書きや競争だけじゃない。
「あなたは、あなたのままで、いていい」っていう安心が当たり前に存在する社会。
だから、クル国家では、
・精神的幸福を国の基本方針にする
・空気や見えない圧に左右されない民主主義を考え直す
・弱さをさらけ出すことが許される文化を育てる
そういう、構造の再設計に取り組む。
これは単なる哲学じゃない。
ワタシ自身が、ずっと痛みや不安の中で生きてきたからこそ、
「こういう国があったら救われてたかもしれない」って思える場所を、今つくりたい。
もちろん、現実の法制度をすぐに変えることは難しい。
でも、思想を打ち出すことは、今この瞬間からでもできる。
クル国家は、現実の社会とは別の土俵をつくる挑戦だと思ってる。
そこでまず「こういう国だったらいいよね」「こういう仕組みならもっと生きやすいよね」って、
想像と議論と表現を通じて、社会の限界を揺さぶる場所にしたいと思ってる。
この国の通貨は、まだ存在しない。国境もない。パスポートもない。
でも、確かにここにあるのは、
あきらめきれなかった希望と、もう一度信じてみたい未来。
クル国家は、そういう思いを持つ人が集まって、
ゼロから人間に優しい社会をつくり直していく場所。
どんな国を目指しているの?
クル国家が目指しているのは、ただの「新しい国」じゃない。
今ある社会の当たり前に違和感を抱えてる人たちが、
「じゃあワタシたちなら、どんな社会をつくる?」って問い直す場所だ。
その中心にあるのが、精神的な幸福という価値観。
物質的に豊かになった現代の日本では、スマホもネットもあって、
モノや情報は山ほどある。でも、心の中の満たされなさは、なぜか消えない。
「これだけ便利なのに、なぜ孤独なのか?」
「これだけ選択肢があるのに、なぜ苦しいのか?」
その問いに対して、クル国家は正面から向き合う。
経済成長とか競争とか効率化とか、そういう勝つか負けるかの社会じゃなくて、
誰かと比べず、自分の心と向き合って生きられるような社会をつくりたい。
「誰もが幸せになれる国」っていうと、綺麗事に聞こえるかもしれない。
でもワタシは、そういう理想をただ笑って流す大人にはなりたくない。
だから、言葉だけじゃなくて、構造そのものから生きやすさを設計していく。
例えば、
• 感情を素直に出せる文化
• 「失敗」や「弱さ」に寛容な制度
• 自分の意見がちゃんと届く民主的な仕組み
• 働き方、生き方、学び方に多様な選択肢がある教育や労働システム
そういった具体的な制度設計も、これからこの国で一つひとつ言語化していくつもり。
クル国家の目標は、空気を読む力よりも、自分を守る力が尊重される国。
競争に勝つことよりも、隣にいる人と安心して生きることが大切にされる国。
目指すのは、声が小さい人の声が届く社会。
感情がこぼれる瞬間を「価値」として認められる文化。
そういう国なら、
過去に挫折した人も、
うまく言葉にできない不安を抱えている人も、
未来に向かってまた一歩踏み出せると思う。
これは「強い人間を育てる国」じゃない。
どんなときも、人間らしくあっていいと思える社会をつくることが目的。
その第一歩として、
「ワタシたちは、精神的幸福と本質的な民主主義を中心に据える」という旗を立てたい。
クル国家は、その旗のもとに集まる未完成な人間たちのための国。
誰のための国家?
この国は、誰かを救いたいとか、導きたいとか、そんな偉そうな発想から生まれたものじゃない。
もっと単純で、もっと正直な動機。
「ワタシ自身が、この社会の中でうまく生きられなかったから」
ちゃんと話そうとするとめんどくさい奴扱いされたり、
本音で動けば「空気が読めない」と言われたり、
がんばっても構造の中で詰んでるってわかってて、それでも黙って働けって強要されたり。
そんな社会に対して、
「なんか違くね?」って、
声にならないまま、喉の奥に引っかかってた言葉が、
この国家構想を生んだ。
だからこの国は、俺みたいに社会にうまくなじめなかった人のための国だ。
でもそれは、「落ちこぼれの集まり」「社会不適合者」とかそういう意味じゃない。
この社会で適応できた側に見えてる人の中にも、
本当は深く傷ついてる人や、自分を押し殺してる人がたくさんいる。
ここで言う誰のためっていうのは、こういう人たちのこと。
• なぜか毎日しんどいけど、理由がわからない人
• 自分の居場所を探し続けてる人
• 声を上げたくても、誰かに否定されるのが怖くて黙ってきた人
• 本当は夢があるけど、それを笑われることに慣れてしまった人
• 誰かと比べるたび、自分がどんどん小さく感じてしまう人
つまり、「社会のどこにもフィットしないけど、ちゃんと生きようとしてる人」のための国。
そしてもうひとつ、大事にしたいのが、
若者をこの国の中心に据えるということ。
若さっていうのは、ただ年齢が若いってことじゃなくて、
「まだ終わってない」「まだ変われる」っていう感覚そのものだと思ってる。
未来を信じられないって言いながら、
本当はどこかで「信じたい」と思ってる人。
そういうまだ燃え尽きてない人たちが、この国の中心になる。
当然、理解ある大人たちにも参加してほしい。
むしろ、若者の隣に立って、経験や知恵を貸してくれる人がいてくれたら、
この国の可能性は何倍にも広がる。
若者と大人が対立するんじゃなくて、お互いに支え合う社会モデル。
それがこの国家のあり方だと思ってる。
「もうこんな社会イヤだ」って声に、
「じゃあどうする?」って一緒に考えてくれる人たちのために、
クル国家はある。
ここは、社会に違和感を持った人たちが、
その違和感を生きる力に変える場所だ。
一人で抱えてたあの息苦しさも、
誰にも言えなかった過去の失敗も、
他の誰かの声と重なったとき、きっと「ここで生きてていいんだ」って思えるはず。
この国は、そういう瞬間のためにある。
ワタシは何者なのか
ワタシは、この国の創設者。
それと同時に、この国に救われたいと願っている一人の人間でもある。
偉いわけでも、頭が良いわけでも、聖人でもない。
ただ、ワタシ自身がずっと、この社会の中で居場所を見失ってきたから、
「じゃあもう、自分で居場所をつくるしかない」って思っただけの人間。
人との関係に傷つき、自分の言葉に自信が持てなくて、
感情をうまく表現できずに誤解されて、
正しさや強さの仮面をかぶりながら、
心のどこかで「本当は違うんだよ」って叫んでた。
そんな俺が、今こうして国家を名乗るなんて、
正直ちょっと笑えるし、滑稽かもしれない。
でも、本気で思ってる。
ワタシみたいな人間が、国をつくれる社会のほうが、よっぽど健全だと思う。
生まれや学歴や過去がどうあれ、
「こんな社会はおかしい」っていう違和感を持った人が、
ちゃんと言葉を持って、行動して、仲間を集めて、
何かを変えようとすることが許される社会。
それを思想として示すために、俺はクル国家を始めた。
俺は、この国で「誰かを導く存在」にはなりたくない。
誰かの上に立つような代表にもなりたくない。
むしろ、俺自身がこの社会に救われなかった当事者だからこそ、
この国家の原点になれると思ってる。
だから、
俺は創設者であると同時に、
この国の一番最初の市民でありたい。
特別でも完璧でもない人間が、
何かを変えたいと願って声を上げること。
そのこと自体に、意味があると信じてる。
これからこのブログでも、
ワタシ自身の過去の話、葛藤、転んだこと、泣いたこと、
そういう人間くさいこともちゃんと書いていく。
それを読んで、「あ、同じだ」とか「ちょっと勇気出た」とか、
そう思ってくれる人が一人でもいたら、
それがこの国家の始まりだと思ってる。
だから俺は、国をつくる誰かじゃなくて、
この国を一緒に生きるひとりでいたい。
それが、俺という人間のスタンスです。
今後どうするの?
このクル国家は、まだ何も整っていない。
国旗もない、憲法もない、制度もない。
あるのは、こうありたいという願いと、言葉にして伝えたいという想いだけ。
だからまずは、このブログから始める。
精神的幸福って何か?
どうすれば生きやすい社会をつくれるのか?
民主主義を「形式」じゃなく「実感」にするにはどうすればいいのか?
そういう問いを、ワタシなりの言葉で書いていく。
時には憲法っぽい文章も書くかもしれない。
時には文化や感情の話になることもあると思う。
でもすべては、「人が人として生きやすくなる社会」を組み直すための実験。
それと同時に、YouTubeやXなどでもこの構想を発信していく。
映像や音声だからこそ伝わる熱や空気もあると思うし、
一人でも多くの人の心に届く手段は、全部使っていくつもり。
そして近い未来には、
・共に国をつくる市民を募る
・対話できるオンライン空間をつくる
・現実と接続するプロジェクトに落とし込む
そんなフェーズにも進んでいくつもり。
でもまずは、言葉だ。
この国の骨と血をつくるのは、思想の言語化から始まる。
それを、今この瞬間から、始める。
最後に
きっと言われるだろう。
「国家?なにそれ?」「理想論すぎる」「現実見ろよ」って。
でもワタシは、そういう声があることも分かってて、それでもやりたいと思ってる。
だって、理想を語ることが笑われる社会なんて、そっちの方がよっぽど異常だから。
たとえ今はただのブログのひと記事だとしても、
ここに込めた言葉や想いが、誰かの中で何かを動かすことがあるかもしれない。
この社会で孤独を感じた人、
何度も自分を否定してきた人、
信じたものに裏切られた人、
夢を笑われて、現実に押し潰されそうになった人。
そんな君に伝えたい。
「まだ、終わってないよ」って。
もし君がこの文章を読んで、少しでも何かを感じたなら、
それはもう、クル国家の市民なんだと思ってる。
ワタシは、君のその感覚を信じる。
そしていつか、一緒にこの国をつくっていけたら嬉しい。
ここから始まるこの挑戦に、名前をつけよう。
これは、クル国家の建国宣言だ。
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